ストレスの回避は無駄を省くことから

夫、というか家族の存在というのはあまりにも距離感が近過ぎて、時折相手に対する態度や物言いがぞんざいになりがちなのだけれど、今回ルイスさんと一緒に”仕事”をすることになり共に仕事をしなければ意識しようがない仕事への取り組み方の違いがとてもデフォルメされて何度か険悪になる。パートナーに対する自分の態度というのはその時の自分の状態がそのまま出てしまうので時々自分自身にぎょっとしたり、うんざりすることがある。

それでも誰かと同じ家で暮らし、日常での小さなルーティンを共有することというのは、行い(カルマ)に対するリアクションへの意識の処理の仕方がポジティブでさえあれば、自分自身を成長させることになる(と、少なくとも私は信じている)。その日の気分で自分の状態がころころ変化しないように(もとの性質がずいぶんな気分屋なので)、しっかりとサダナを行い、チッタ(心)を客観視し、常に安定し内省的でありたいと思っている。

若いときは自分に合わない人やただ近くにいる人となんとなく恋愛をしてみたり、だらだたと一緒にいたりすることもあると思うけれど、相手に対し共感する気持ちが無かったり、人生の目的(というと大袈裟だけれど。ちなみにヨギである私の生きる目的はやはり魂の成長とモクシャである訳ですが)が著しく違うとか、尊敬出来る部分(自分に出来ないことが出来るとかでも)のない人とは友達や恋人には成り得ないし、なったとしてもそれは一時的なもので長い目でみるとあまり意味がないことが多い。

“仕事”というのは社会的な役割を行う場所で、その場所で与えられる仕事や人間関係の大変さは人を成長させるけれど(この場合もやはり物事の受け取り方や消化の仕方が常にポジティブであるべきだけれども)、それ以外の時間においては本当に好きなことやライフワークと呼べるような魂が喜ぶ事以外(つまり無駄なこと全般)を一切しなければ、関わらなくていい人とは永遠に関わらないでいられるし、そういう無駄をなくせばストレスもかなり減ると思う。そういう意味では世の中うまいこと出来ている気がする。

私はたまに夜に少しだけスペイン語を聞く為にテレビをつけるけれど、ほとんどは無駄なこと(誰と誰がどうしたこうした、あれが高いこれが安い等)をまるで意味があることのように並べ、不安を煽ったりしているだけに思えてならない。今の世の中はあらゆる場面において、そういうくだらない情報が異様に多い。自分に必要なこととそうでないことをしっかり見極め、無駄なものをどんどん省いていかないと忙しくてしょうがないし、自分が本当にはどんなことが好きで何が大切かという本質的な価値観がぶれていく気がする。

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