ヨガの先生とは? FATTC Inidaに向けての想い

生きるということは何を選択するかで成り立つというか、少なくともそういう側面があると思っている。どんな本を読んで、どういった知識を得るかだったり、何を着たり食べたりするか。エクササイズをするのかしないのか、精神性を高めるために何かを学ぶのか、学ばないか。旅をするか、しないか、常に新しいことに挑戦して革新的であるか、あるいは保守的であり続けるか、誰と一緒にいるか

食品の流通過程を意識して、なるべく安全でシンプルな素材のものを買ったり食べたりして、むやみに加工されたものや大量生産のサイクルから距離をとることが、ここ数年私にとって意味のあることで、そういう細かい選択からのリアクション(結果)にとても興味がある。自分の選択の結果、身体がどういった反応をするのか、もちろん良いことだけでなくてネガティヴなリアクション(良いことの方が多いけれど実際ヴェジタリアンでオーガニックのものばかり採っていてもそれはそれでいろんな反応が起きる) であっても自分の体質を細かく知ることが出来る。皮膚の疾患に薬局で買った抗ヒスタミン剤を応急的に塗っていたら数日後に首に湿疹が出たり、夕方お店でコンセントタイプの蚊除けのスイッチを10分ほど入れっぱなしにしていると頭と喉が痛くなって気分が悪くなったり。

化学調味料や保存料などの入った加工食品を摂っていた頃はここまで敏感に反応しなかったので、これはこれで割と面倒だけれど、その反応によって自分がどんなことにどの程度耐性があるかないかが解るし深刻な病気になる前に対処できるのだと思う。そういう選択を続けた結果、思考も好みもどんどん自然でシンプルになってきた。どんな些細なことでも意識をもって選択していくことは大事だな、そんなことを昨夜、自分では選ばないレストランで私とはタイプの違う人達と夕食を食べながら思っていた。

仕事などの社会的な役割を行ううえでは様々なタイプの人と関わっていくことで、自分の内側にあるエゴなどを知ることが出来るし、そもそも仕事関係で関わる人を選べないのだけれど、個人の時間は文化や芸術などの知的好奇心の方向性や食などの好みがある程度近い人と過ごした方がストレスにならないのは確かだと思う。ハタヨガプラディーピカにも正しい人間関係(良いコミュニティ)に身を置くことの大切さが書かれてある。対面でもインターネット上でも、人の自信を奪ったり貶めるようなことを言ったり書いたりする人と、討論したり関わったりすることは宇宙でもっともくだらないことの一つだと思う。誰がどんな意見を持っていても良いし、人の選択や生き方を批判するのは私達の役割ではない。

スペインでヨガのTTCをしている人たちと話していて思ったことだけれど、はっきりいって表面的にアサナを教えたり、教え方を教えたりするというのは、それ自体はもしかしたらさほど難しいことではないのかもしれない。けれどプロとしてハタヨガを教える為には解剖学を理解し、身体に問題や痛みがある人にも適切な指導ができなければならないし、学ばなければならない知識の量はかなりボリュームがある。

人にヨガを教えるということは伝える環境にもよるけれどかなり深く関わることになるので、そこから生まれる問題(生徒さん同士の問題や、人が増えると起きるいざこざなど)とどう関わるのか、あるいは一切関わらないのか。ヨガの先生の役割は人間関係のエキスパートになったりコミュニティの主役として存在することなどではなく、生徒さんに練習するモチベーションとインスピレーションを与える存在であることだと思う。関わるべきではない問題や状況というのは割とよくある。

誰かにとってそんな存在であることこそがヨガの指導者であり、それはとても重く責任のあることで、自分自身を含め取り巻く環境を客観視できなければならない。私達はカルマヨガ、バクティヨガ、ギャーナヨガ、ハタヨガなど様々な側面からヨガの学びを深めていく過程において、社会生活を送るうえで関わる全ての存在や状況に学びが得られること気づくかもしれない。気づきや学びというのは想像もしていなかった様々な角度からやってくるもので、そういったアイデアや気づき受け取るために、ヨギとして物事を選択し常に謙虚でいることが大切だと私は思う。

私にとってインドは特別な国でガンガーは本当にスペシャルな存在です。私の人生を良い方向に変え、今も心の深い部分を支え続けてくれているこの偉大な国にいつか恩返しができるように日々ヨガを学んでいます。この場所で今年もFLOWARTS Yogaのスペシャルな皆さんと一緒に学べることを心から楽しみにしています。

Emma Chetana

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