情報のコントロールと心の関係

今週も引き続き留守をしている夫のクラスを代行しているので起きる時間が普段より30分ほど早く、犬達を連れて表に出ると外はまだうっすらと暗く通りには誰もいない。

この数日の朝の空気というか雰囲気が本当に気持ちが良い。空気に含まれる湿度や風の匂いがまだ両親の家に暮らしていた子供の頃の風景を思い出させ懐かしくなったり、毎朝クマピーとボンちゃんを遊ばせている場所で緑に囲まれて座っていると、早朝のウブドで「今から少し瞑想して支度をしたらあのカフェでコーヒーを飲もう」と思案している時の開放的で前向きな気持ちになる。

私たちが暮らしているこの物質的世界(現実社会)では、私たちの意識の外側、つまり外の世界で起きていることに影響を受けて心のバランスや感情が左右されがちだけれど、自分の感じ方にだけ集中しどんなことが起きようと物事の肯定的な部分を探し、そこに意識を集中することによって安定感や心の静けさは保たれるように思う。他の人が外の世界で起きた何かしらの出来事によって嫌な気分になったりネガティブな感情になっていたとしても、それはその人の経験であって私たちのものではない。なにか問題が起きたとしてもその問題のネガティブな部分にだけ意識を集中して嫌な気分を長引かせている人がいたとしてもそれはその人の選択と責任であって他者が自分の価値観でアドバイスしたり、一緒に嫌な気分になってあげたりする必要はない、そう思う。

なにか突発的なことが起きて嫌な気分になったとしても心の状態を安定させたり、自分が望む自分のいい状態に戻るためのツールみたいなものがあるといいと思う。私の場合は日常的に瞑想することで意識の中にある必要ではなくなった古い感情や思考を手放し、アサナプラクティスによって身体の歪みやむくみを重大な問題になる前に修正し、全身の筋肉を柔軟に保つようにしている。

信じられないほど膨大な情報がスピーディに飛び交う今の世界では、どういった情報をどういったツールを通じて自分の中に取り入れるかは私たちが思っている以上に大切なことだと思う。なぜならTVや新聞といった一般的な媒体や、SNSやインターネットから流れてくる情報に対し何の警戒心も持たず、パッシブにただ受け入れ続けていると、純粋な自分らしさや本来の自分の価値観などが情報の作り手によって気がつかない間にコントロールされていくから。全てのエンターテイメントやアドバタイズメントの背景にはそれらを打ち出し展開させていく側の意図がしっかり含まれているし、それらを日常的に受け入れていくとどうなるかは今の一般的な世の中の人達を見ればわかると思う。

何が正しいか正しくないかを考えたり発言するのは私の役割ではないし、そういうことが言いたいのではなく、皆がそれぞれ真実の自分と繋がる、あるいは本当の自分自身でいられる為の手段を持つと、大抵そういったツールは思考や行動に対するインスピレーションを与えてくれるので、その状態(自分自身とつながった)でいると知らない間に他者から刷り込まれたモラルや価値観がいかに広範囲に及んでいるか、真実ではないかに気づくかもしれない。

キッチンでは音楽以外にYou Tubeでシャルロット・ゲンズブールのインタビュー(昔から好きなのだけれど去年彼女が新しいアルバムをリリースした前後から再び夢中。洗練された言葉の選び方と話し方、バイリンガルの彼女のブリティッシュアクセントに憧れる)を流しながら料理をしていることが多いのだけれど、最近はご飯の準備をしながら「サザエさん」をよく見ている。日本ではほぼ見たことのないサザエさんをなぜ今見ているのかよく分からないけれど、もしかしたら何かしら日本的なエッセンスを欲しているのかもしれない。

フネさんのヨギ的な発言と佇まいは「こんな大人の女性になりたい」と憧れるし、タラちゃんのお友達(?)の「たけおくん」というキャラクターは声が聞こえるとつい手を止めて画面をみてしまう。男の幼児、というよりは年寄りの魔女のような声で「タラオはなぁー」とやさぐれた調子でタラちゃんに対し地味にいじめたりいばったりするたけおくん。そしていじめられていても気づかないか気にしないタラちゃん。世の中にはサザエさんというあんな特殊な世界(しかもアニメ)で起きるエピソードやキャラクターに対してですら嫌な気分になる人はいるようで、コメント欄を見たらすごい書き込みをしている人がいて、大変そうだなぁと思うばかり。

世の中にはいつも機嫌や気分が悪い人、常に人の行いを批判する人というのはどこにでもいる。私たち日本人はとにかく他人にどう思われるかを極端に気にしなければいけない文化で育っているけれど、いつも批判的な人をいい気分にさせるためにわざわざ自分を嫌な気分させる必要など1mmもない。自分自身が幸せでいい気分でいることよりも大切なことなど何もないし、自分の行いに(好き勝手すればいいというのではもちろんなく、自分の感じ方を優先したうえで自分が信じる正しいことをすればいい)よってもたらされる結果(どんな評価も批判も)に執着する必要もない。まず自分を優先し尊重した上で誰かのためにできることをすればいいのであって、自分を犠牲にしながら行動をすると「〜してあげたのに」「〜されない」みたいな思考パターンになることが多い気がする。

みんなシャンティシャンティで:)


お店の前で飼い主さんを待っていたワンちゃん。超かわいかった


クマピー、それ運ぶの?大きすぎない?

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