私達の練習の目的

9月の帰国ワークショップのサットサンガで取り上げようと思っているテーマのひとつ「私達の練習の目的」について。

練習(ヨガサダナ)は自分の軸、自分の内側に戻るためのツールであり、練習によってクリアなマインドをとり戻すことで、自分の本質的な部分を思い出し気づきが得られます。

そしてヨガの練習によって自分が快適でいられる状態、あるいは自分が夢中で何かをしているときの意識状態の心地よさを経験することもあります。

マットの上での練習において、まず最初に意識すべきは呼吸であり、コントロールした深い呼吸を意識的に行うことによって意識は徐々に内側へと向いていきます。この意識を内側に戻すというプロセスがとても重要で「何かに夢中になっている時の意識状態」の導入部分であり、大きな自己であったり、より高い視点と繋るきっかけになります。

私達は家庭生活や社会的な役割を通してカルマヨガを学びます。自分以外の誰かと関わりながら自分に与えられた仕事や役割をこなす際、私達は五感を通して外の世界を見ること、つまり目や耳などの感覚器官を通じて流れ込んで来る情報を処理しようとすることによって意識は外へ外へ向かっていこうとします。外に意識が向かいっぱなしだと体もマインドも疲労してしまうので、なんらかのツールを通じて意識状態を内側に戻していきます。

社会的な役割をするため私達は外の世界に家族や近しい間柄以外の人と接します。自分のことを特に大切だと思っていない人、あるいは否定的な感情を持つ人に日常的に接することで、自信を奪われたり自分には価値がないのでは?と思ってしまったりするかもしれません。そういった一見難しく思える状況にもポジティブな面は存在しているので、全ての物事から肯定的な側面を探す練習にもなります。

自分以外の人の発言や行動は私達のコントロール下にはありません。だれにでも親切で関わる人の良い面(たとえそれがどんなに見つけ辛くても)を見ようとする人もいれば、いつも怒っていたり粗探しをするように人の欠点や弱い部分を見る人もいます。人がどんな行いや発言をするかはどうでもいいのです。他者の行いや発言にどんな反応をするかが唯一大切なのです。

「嫌なことを言われた。腹が立つ、気分が悪い」と思うか「他者に向けられた不満や怒りは自分に対する不満や怒り、この人は自分に満足できていないんだな。幸せになるといいですね」と反応するかで私達の気分や心の状態は確実に変わってくる。

こういう思考のパターンや反応のパターンも癖なので、普段の自分の感情や反応の仕方に繊細になり自分のことを知っていくこと。誰かに「いい人」「感じのいい人」と思われたいのは多くの人に共通することだけれど、いい人である前にまず自分自身であること、自分が本当には何を求めていて何を求めていないか、どうあることが幸せなのかを理解ししっかりと自分自身を満たしていくことが大切。

自分自身を殺して「良い人」であろうとしたり、「良い行い」をしようとすることは「こんなにしてあげているんだから」「もっと感謝されると(喜ばれると)思ってたのに」とその結果に対する執着のパターンを生むし、結果的に行為そのものが偽善的でフェイクなものになってしまうことがある。なによりそんな心の状態はあまりハッピーではないでしょう。意識を内側に向けるために私たちができる一番シンプルな方法は時間を忘れてしまうくらい夢中になれることに集中すること。

今に意識を向けるために私達にできる一番シンプルな事はなんですか?

呼吸を深くしてそこに集中すること。瞑想もアサナの練習も私たちは基本的に呼吸に意識を向けます。それはマットを離れ日常の生活に戻ったときにも役立つツールです。外に意識が向いて自分の軸がブレたな、と感じても意識を内側に戻すツールを持っているのと持っていないのでは生活の質は大きく変わるのではないかと思います。

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9月12日に帰国します
Playa del Morcheでの夕陽

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