生命があるということ

水曜日の朝は目が覚めた後もなんだかすっきり起き上がれなくてベッドでうだうだとしていた。

寒い季節になると誰よりも朝寝坊するクマピーでさえベッドを出て階下に降りていったのでそれをきっかけにようやくベッドから出て着替えをし下に降りる。犬猫達を庭に出し、その間に4匹のご飯の準備をする。何ヶ月かに1度、あるかないかだけれど、なんとなく嫌な予感がする朝というのがあって水曜日の朝はまさにそういう日だった。

案の定、メールを開くとあまり良くないニュースが入ってきたりしていて、その時点でマインドを切り替えないとその日1日が本当に良くない方へ流れていくので、気分転換に犬達と山の奥に散歩に出て1時間強、汗ばむくらいにしっかり歩いたらずいぶん気分がましになった。けれど、普段内側に抱えている不安というか恐怖のようなものをなんとなく意識してしまうような落ち着かない気分は抜けなかったので、ネルハに行って買い物の後カフェでブランチでもしながら本でも読もうと思いシャワーを浴びて支度をする。

車に乗って家を出ると、うちから3分くらい辺りのご近所さん(この辺もまだ山)の門の前に源ちゃんやサブちゃんくらいのサイズの子猫が横たわっていたので「日向ぼっこでもしているのかな、かわいいな」などと思って車を止め、サイドミラー越しによく見ると死んでいた。山に住んでいるので小さなリスなどの死骸を見かけることはあるけれど子猫は初めてで「あぁやっぱり今日はそういう日か・・」と思う。

なんの準備もしていなかったので、予定通り街に下り庭の手入れに必要な鎌やらガーデニング用の手袋、猫トイレの砂など必要な重くてかさばる買い物を済ませる。行きつけのカフェに入りコーヒーとクロワッサンをオーダーし、読みかけの本を読みながらしばらく寛いだ。でも道にひとりぼっちで横たわっていた子猫が頭から離れないので予定よりも早く切り上げ(このカフェで本を読む時はコーヒーをお代わりして1時間以上過ごすことが多いのだけど)、車に乗り山に戻った。

「もしあの子がまだあのままだったら何とかしよう」と考えながら運転する。果たしてその子猫はさっきと同じ場所にいたので、まず草むらの目立たない場所に移した後、一度家に戻り新聞紙とお香、庭に咲いている白いバラを一輪袋に入れ、犬達と一緒に子猫の元に戻った。小さな遺体を新聞紙に包み、普段犬達と散歩する山の方に歩き、誰の敷地でもなさそうな「Parque Natural(自然公園)」の看板が出ている場所のさらに奥の方に入り、子猫を埋めお花を供え、お香を焚いてお祈りをした。自然公園に埋めることが良いのか悪いのかは解らないけれど、同じような大きさの子猫と一緒に暮らし、犬や猫からポジティブなエネルギーと愛情を沢山もらっている一人の動物おばさんとして、そのまま道端に放置することはどうしても出来なかった。もちろん車に轢かれて血まみれ、とかだと私の手には負えないので役所なりに連絡するけれど、その子猫は寝ているとしか思えないくらい綺麗だったし山の神様も大自然も小さな子猫の遺体くらい受け入れてくれるだろう、そう思った。

クマピーとボンちゃんは子猫を新聞紙に包んでいる私と子猫を心配そうに交互に見ていた。興味深かったのは、その現場のすぐそばの敷地を見張っている(?)ジャーマンシェパードがいて、その子は普段私たちが彼の敷地のそばを通り過ぎるとそれはもう激しく吠えるのだけれど、フェンスの向こうから一連の作業を見ていた彼は遺体を抱えた私と犬達がそばを通っても、静かに座ったままいつもとは全く違う表情でこっちを見るだけだった。

子猫を弔って家に戻る頃には朝感じていた不安感やもやもやした感情がすっかり消えていて、あの小さな子猫が全部持っていってくれたのかもしれない、そう思った。家の門を開けるとサブちゃんと源ちゃんが出迎えてくれて、クマピーとボンちゃんに顔をくっつけて挨拶している猫達の生き生きとした姿にとても癒された。猫達を触ると柔らかく温かくて毛もふわふわしている。魂が身体に宿っていて寝たり食べたり遊んだりできるって当たり前のように思ってしまうけど全ては奇跡で生かされているって素晴らしいことだと思った。その夜はクマピーのお腹に顔をくっつけ、ぴったり寄り添ってくれるボンちゃんを撫で「生きていてくれてありがとう」と思いながら寝た。

洗濯カゴで寝るサブちゃんと源ちゃん
山奥へ
みんなで寛ぐ
翌朝の朝日がとても綺麗だった(寝室の窓から)

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