一人は孤独?


「人は一人で生まれ、一人で死んでいく」というフレーズをよく耳にしますね。

生き死にという経験は一つの人生につき一回ずつ(普通は)ですが、眠るとき目覚めるときも私たちは小さく死に小さく生まれています。眠るとき目覚めるときはもちろん、私たちはたとえ誰と暮らしていても一人の存在です。

良い人たちと一緒に過ごす、これはハタヨーガ・プラディーピカーにも書かれていますが、属するコミュニティの環境は私たちの基本的な考え方にも大きな影響を与えるので誰とどう過ごすかはとても大切です。

よく仲間や友達に「家族みたいな」という表現をする人がいますが、どんなにその人、あるいはコミュニティに思い入れがあっても、自分以外の人が存在するすべての集まりには「お開き」があります。興味深い人たちとの楽しい集まりや飲み会は永遠に続かないのです。そして一人の時間は必ず訪れます。

若い頃は、すべてが成長の肥やしになるので様々な物質的、精神的な経験をするべきですが「ひとりじゃないと思えるから・・」という理由で誰かと居たいのならそれは依存であり(私たちは皆一人なんですよ) 、互いに依存心がある関係というのは、ベタベタしたあまり気持ちのよくないものになりがちですし、そしてそういった関係にはすぐに小さな問題が起きて自然に、あるいは憎み合いながら関係が解消されることがほとんどです。なぜそうなるかというと依存心というのは「私を解って、大切に思って、そして満たして」というエゴがベースにあることが多く、「仲間は家族、友達が大好き」と表面では言っていてもそれは利己的な愛なので、その中の誰かが自分の持っていない幸運や幸せを手にしたとき、妬みや嫉妬(あるいは逆恨み)という感情にマインドが支配されて辛くなるからです。「わたしを理解して愛して」という小我の感情を手放し、自分を含めた周囲全体の幸福や成功を祈ることでそういうネガティブな流れは変えることができますが、そのためには自分と向き合い自己を知るためのインナープラクティスが欠かせません。

コミュニティにしろ友達にしろ実の家族にしろ「依存」するのは健康的ではないし、長い目でみると個人の精神的な成長を妨げることになります。大切に思える友人や共通の趣味の仲間を大切に思うこと、コミュニティで過ごす時間を愛することと「依存」は全く別物です。「今日はみんなと過ごせて楽しかったし沢山の学びといいエネルギーをもらった。私も誰かにとって何かポジティブな影響を与えられていたらとても嬉しい」と小さく自分以外の人の幸せと心の平和を願えば、同じようなポジティブな波動が自分のもとに還ってくる、そう思います。

私自身は一人でいることが好きで、一人で過ごすことが断然多いのですが、外の世界で起きていることへの感じ方、捉えかたに客観的になれる気がします。最近はすっかり減りましたが数年前まで飛行機や電車などの長距離移動の多い生活でした。大抵は一人旅でしたし、そんな時間がとても好きでした。移動中に音楽や昔受けた講義の録音を聴いたり、頭のなかにある考えをノートに書き込んだり(ここに書くヨガ的なこともだいたいこのノートがベースです)。

ほんの少し自分を律していれば(あまりがちがちにならずに)、一人時間は内省的に、そして生産的に過ごすことができます。少し前、あるいは昔起きたこと、学んでいることに対する理解が急に下りてきてすっと腑に落ちる、ということが時々ありますが、私の場合そんな宝物のような瞬間は一人でいるときに起こることが多い気がします(先生から学んでいる時などを除いて)。車の運転をしている時、乗り換えの空港でコーヒーを飲みながら書き物をしている時、犬達と山を散歩している時。

一人でいることに苦痛や孤独を感じず、自分とうまく付き合える人たちで構成されたコミュニティは素晴らしい場所になるでしょう。そして人間関係とは本来そうあるべきではないか、と思います「自己を知り、自己を純粋に愛する」このプロセスなしに他者に対する本当の理解や愛を持つのは難しのではないでしょうか。

孤独を怖がらず一人でも超然としていたものですね。

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