自己を省みること、そして学びとは

それにしても何なんだろう、この引越しの多い人生は。2009年に藤沢にマンションを買った時に「やっと落ち着いた」と思ったのも束の間、一年もその部屋に暮らさずに海外に出てしまった(その部屋は現在賃貸に出しています)。

思ったことをすぐに行動に移さずにはいられない性分が原因なのはわかっている。スペインに移住して7年程落ち着いていたけれど、それは物事を熟考し選択した成果というよりは、ただ移動や環境の変化が続いて疲れていただけ、今はそう思う。だけど今回の引越し騒動(?)で「さすがにこれではいかん」と反省し、先に起こりうる様々な可能性を視野に入れた行動をしていこうと思った。

とはいえ結果的に、今までに暮らしたどの家どの環境よりも快適で過ごしやすい部屋に出会えたので、強引な引越しではあったけれど満足した日々を過ごせている。山の家を引き払った翌々日、つまり二月の最終日に掃除道具を持ってその家に向かい、ディヴィッドと二人でそこに引越した時よりもうんときれいに掃除をし、家と庭に短い間だったけれどありがとうと伝えた。

「終わりよければ全て良し」と言うけれど気持ちが新しい環境、あるいは先へと競って物事を雑に終わらせてしまうと、次の新しい環境にもその雑な波動が伝わりしわ寄せや必要な修正が様々な形とタイミングでやってくる。雑なエネルギーで選択/行動をするとろくなことがないという事を、これまでの多くの引越しや環境の変化でようやく学んだ。どんなに無視をしようが気づかないふりをしようが、事態を受け入れしっかりと消化するまで必要な学びは何度でも何度でもやってくる、そう思う。例えば、ビジネスがうまくいかなくて雇用していた人達になんのケアもせず、借金を踏み倒すなど自分のことだけを考え雑に物事を終わらせた人が、次に新しいことを始めても絶対に成功などできないように、あるいは恋人とものすごく変な別れ方(裏切るとか嘘をつくとか)をして、次の相手にいってもうまくいかないように宇宙はできている。

ヨガを学び始めて十数年が経ち、物事の捉え方、思考や行動のパターンは少しずつ変化していると思う。でも毎年「去年までの自分はなんと愚かで幼かったのだろう」みたいは反省はあって、実際それもどうかと思うけれど、しかし自己を省みることで己の未熟さを知り、謙虚でいることの大切さ、先生や生徒さん他者から与えられる教えに対して純粋な心で向き合うことができる。

今世において、魂の向上を目指して意識的な学びを死ぬまで続けようと決め、勉強している主なサブジェクトはヨガの聖典、仏教の教え、宇宙真理やスピリチュアリズムなどなのだけれど、表現の違いこそあれ本質的なメッセージは一貫していて、これまで悩んできたこと理解できなかったことが、最近どんどん繋がりはじめていて学ぶことの素晴らしさを実感している。

本を読み頭で言葉を理解することと本当に理解する事は別で、実生活での経験(失敗も成功も)や理解するためにそのことについて深く考え続けることで、内側に落とし込むことが(「落とし込む」という本当の意味も最近になってようやく解ってきたように思う)できた瞬間は少し大げさだけど「生きていてよかった」と思うほど。

「人は知性を持つことによってのみ、死や、その他様々な恐怖から解放される」と尊敬するある禅宗のお坊さんがおっしゃっていた。無知が引き起こす様々なトラブル、知性(本当の知識を身につける)を持つことの大切さについてはヨガの聖典の中でも幾度となく触れられている。知性へと繋がる本当の知識、宇宙の叡智はテレビやソーシャルメディアの中にはない。

本当の先生(師)に出会うことはとてもとても重要だ。けれどそんな先生にまだ出会えていなくても心配することはないと思う。熱意をもって自分に与えられた課題(学び)を続けていれば、そして心から先生を求めていればきっと出会える、そう思う。本人が良ければ何も言うことはないけれど、よく知りもしないのに簡単に誰かをグル(導師)と呼んだり慕ったりする人を見る度「学びの目的が何なのか?」を自分自身に問い、明らかにすることはとても大切だと改めて思う。


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