コントロールできないことに執着しない/ 外の世界から学ぶこととは【YouTube動画まとめ】

本当だったら、ちょうど今頃(31の正午)インドからマラガ、コスタ・デル・ソル空港に着く頃だった。帰国後、生産的に時間を使えているのでを新しくチケットを買い直してよかったと思う。

さて、今日はインドから帰国してすぐにアップしたYouTube動画「コントロールできないことに執着しない」について、もう少し文章で補足していこうと思う。

人が変わるのはその人が変わりたいと思った時

この動画では「自分の人生は自分で創ることができる」ということ、そしてそのためには誰かがこうしてくれればいいのに、誰かや周りが自分のために代わってくれさえしたら幸せになれるのに、というマインドを変えていくことが必要だということを伝えようとした。

自分が「良い」と知っていたり、信じていることを近しい存在に教えてあげるというのはよくある一般的な行為だけれど、必要に以上に自分のアイデアを押し付けたり、他人の発言や行い、食生活や生活態度などを変えようとするのはエゴであり私たちの仕事ではない。

普段から他人の生活や選択に否定的な反応や発言をする人というのはどこにでもいるけれど、大切なのは他人の生活習慣ではなく、まず自分の心や体を整えること。私たちは忙しくしすぎたり疲れすぎていたりすることでバイオリズが乱れると、普段反応しない物事や出来事に過剰にリアクションすることがあるので、日々自分の暮らしや心を整える必要がある。

感情的になっていると学びを見逃してしまう

生きていると、嫌なことや好ましくない状況が目の前にやってくることはあるけれど、結果には必ず原因があるので、起きたことに反応して感情的になりすぎず、「このことから自分が学ばなければならないのは一体なんだろう」と少し考えてみると、起きた現象を環境や人のせいにしている時には気がつけなかった何らかの学びをふっと受け取ったりすることがある。

「あの人がこう言ったから」「誰かがこうしていたから」とすべてを自分以外の責任にして、起きたことに感情で反応し続けていると、その問題からの学びを受け取るまで、同じような状況が繰り返される。誰かがなにかを私たちにアドバイスしたり、注意喚起をしたとしても、その言葉を鵜呑みにしたり信じたりする必要というのはまったくなくて、最終的に何を選択するかの権利は常に自分が握っていることを忘れないようにしたい。

世の中に溢れる情報を自分でリサーチし選びとっていく、そういったアクションを省き受動的に無駄な情報やニュースを(TVとか!!)受け取り続けた結果、気に入らない現実がやってきたとしても、それは誰かの問題でも責任でもなく、自分自身の選択によってもたらされた結果。それがいいとか悪いという問題ではなく事実としてそういうことなのだ。

すべての根本的な問題は、相手ではなく自分の内側にあるということを忘れてしまっていることで起きる。すべての現象(結果)を自分の内側に見ていき、その都度心を浄化していくことで、自分自身を含めたすべての人間関係おける問題やストレスが解決するように思う。

役割や問題を分別する

こういうことをいうと「自分に問題があるのがからすべてを我慢すればいいのか」という人がいるけれどそうではない。例えば意地悪な人や非常識な人や無知な人というのはどこにでもいる。そして運悪くそういう人と働かなければならなくなったり、近所に住んだりしなければならないとする。その人が意地悪で不機嫌なのはその人の問題であって、私たちの個人的な問題ではない。

こういった場合はその人との関わりから学べることはあるかもしれないけれど(こんな人にはならないようにしようとか)、根本的にその人の性根を直さなければならないのは私たちではなくその人なので、まずは問題はどこにあって、その問題は誰のものなのかというのを判断すべきだし、こういった実践によって私たちの魂は成長するのだから、問題の内側に入り込んで神経をすり減らしたりせず「この人は深い問題を抱えているんだな、解決するといいね」という風に切り替える。感情ではなく理性で対応し、被害や危険がせまっている場合は「でも、だって」といわずにすぐに離れるなど対処すればいい。

「自分が不幸であるのは誰かのせい、なにかのせい」「私が経済的に貧しいのは国や環境のせい」「恋人が誠実でないのは彼がそういう人」というようなマインドでいることは簡単なので、気を抜いているとこのようなモードになっていることがあるけれど、これは解決することなく終わりがない思考のパターンなので実はとても苦しいこと。ダメな人と付き合っていて別れたとしても、その経験から学びを得て進んでいかなければまた同じような人と一緒になって同じような苦労したり、仕事先の人間関係に問題があったとしてその問題を感情ではなく知性で乗り越えず、次の職場に移っても必ず同じ問題や同じ人間関係のトラブルが起きて悩むことになる。これはひとつの問題から私たちが学び乗り越えていかない限り課題は繰り返されるから。

相手ではなく自分を変える

問題の原因を外の世界、つまり自分以外のだれかや何かに見るというパターンにいる限り、本質的な幸せを感じることはできない、そう思う。

でも多くの場合、そのことに気がつかず「親が悪い、上司が悪い、近所の人が最悪、日本は終わってる」といったマインドというか思考のパターンに陥ってしまう。そうなると必然的に他者にたいして批判的になったり、コントロールしようとするけれど、他人の行いや考え方、あるいは周りの環境は変えることはできないので、そういうことにチャレンジすること自体がストレスや時間の無駄になる。会社や地域など、組織や大衆の「意識を変革」していくときも、基本的に誰かを変えようとするのではなく、まず自分が正しい行いをすることから始めなければ持続的で良いエネルギーを保つことはできず、それぞれのエゴによって揉めたり分裂してしまうだろう。

感覚器官と心の働きをしっかりと客観視しコントロールすることがヨガだけれど、私たちは良くない思考のパターンに入るポイントや流れをしっかり見つめ、自分自身を冷静に見る努力をしていなければ、心はすぐに感覚器官に反応しコントロールを失い感情的になって泣いたり怒ったり落ち込んだりと忙しくなりすぎてしまう。

人生の目的はそれぞれ違う

「それが人生じゃないの?」と考える人もいる(特に西洋では)。でも、感情に心を忙しくしていると精神的な学びが深まらない。つまり、聖典を読んだり道徳や宇宙の真理を哲学的に考えたりすることから遠ざかってしまう。人生の目的はそれぞれなので好きに生きれば良いのだけれど、このブログを読む人はヨーギーやスターシードがほとんどだと思うのでこういう表現をさせてもらう。

喜びを与えてくれる対象物は「善」で、苦痛を与える対象物は「悪」という、二元性に基づいた考えによってもたらされる結果(心)にもう少し意識的になり、これらの印象は対象物がもつ特性ではなく、見る側の心の中にある間違った主観や思い込みであるということに気がつかなければ、苦痛という経験の中でしか得ることのできない真理や気づきを永遠に見逃しこのパターンから抜け出すことができない。

外に起きていることに腹を立てたり、気分が悪くなったりすることは実際あるけれど、これは私たちの心のなかで作り出している感情であり、対象物の特性ではないことに気づくことができると、マインド(チッタ)の目ではなく、魂(アートマー)の目で世界をみることができるのではないかと思う。

結局、自分を幸せにするのも、不幸にするのも自分自身が外の世界をどのように捉えるか次第。ヨガでいう「無知」とは「自分自身を肉体、この体だと思ってしまう」こと。無知を取り除くことによって、私たちは肉体の存在ではなく魂の存在であり魂の存在とはつまり宇宙意識ブラフマンの一部であると気がつくことができるのだと思う。

でも私たちは肉体を持っていて、この肉体とともに日々過ごしているのですぐに「真実」からかけ離れて、「はぁ?魂?」みないな感覚になってしまいがちで、それはまぁ仕方ないんだけれど、でもどこかで自分自身の無知を取り除いていかないと(真理を理解するために学ぶ)、同じことの繰り返えされるパターンから抜け出すことはできない(大きな意味では輪廻の輪から)。

この記事はYouTube動画「小さなカルマヨガの実践Vol,2「コントロールできないことに執着しない」をまとめ、少し掘り下げたものです。まだ動画をご覧になっていない方はぜひチェックしてみてくださいね。

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